たった10枚の写真を撮るために…

“10,000枚の二度と見返さないであろう写真データよりも、たった10枚の何度も見返したくなる写真を撮りたい”

ここ数年、カメラを持つとき常に意識していること。
技術的なことというよりも、感覚寄りの、心のスタンス。

—インターネットというツールが普及し、それを誰もが容易に使用することが出来るようになり、やがてSNSが流行した。
Twitter, Facebook, Instagram… それらの特徴は「いま」を共有するサービスであるということ。
いまを共有するにはスピードが最優先で、更に不特定ユーザーにワンクリック(ワンタップ)させることを目的としている。
TwitterであればRT(リツイート)、FacebookやInstagramであればいいね!を貰えること。
流行が移行するにつれ、コミュニケーション方は簡素化されている。
それはそれで、悪くはないんだ。

ただ… いまだに勘違いしている人がいるんだよ。
「インターネット社会」という言葉が定着し過ぎたせいなのかは分からないが、あたかも生活や日常の殆どがインターネットの上に成り立っていると思っている人が。
そして未来についてこう問う… これからのインターネットはどのように変わっていくのか? ってね。
インターネットは単なる“ツール”です。
このツールを使うことで、生活の多くは豊かになり、様式も大きく変化したのかも知れないけれど、インターネットが社会や日常を動かしているわけではない。
だから、インターネットが変わることは無くて、もし変わることがあるのなら、そのときはもうインターネットはインターネットではない別の何かなのです。

それを踏まえて話を戻すと…
10,000枚、100,000枚の写真データ、iPhoneいっぱいの写真データ、ハードディスク数個分の写真データ… それも悪くはない。
けれども、その中に10年後、20年後、50年後…何度も見返したくなる写真は何枚あるだろうか。
誤解しないでもらいたいのは、そういった写真をどんな機材で撮るかとか、センスを良くしなきゃという話ではない。
決して高価な一眼レフのカメラを使えというわけではなく、iPhoneやオモチャのカメラでも充分だろう。
大事なのは、その「瞬間に出逢う」こと。
「瞬間を見逃さない」こと。

仕事帰り、電車やバスを降りて家に帰るまで、スマホを見ていたら出逢えない瞬間
ランチタイムに、料理の写真を撮ってレタッチアプリに夢中になっていたら出逢えない瞬間
SNSに流れてくるどんなキレイな写真よりも、もっと心を動かされる瞬間が身近にある事実

インターネットというツールは、我々の暮らしをサポートしてくれます。
しかし、インターネットが我々の豊かさの本質ではありません。
だから僕は、たった10枚の何度も見返したくなる写真を撮るために、10,000枚分の瞬間に出逢い、その全てにシャッターを切っています。

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